「あなたは私を『知っている』のですね。」 蓮はそう言ったが、健太には何だか分からない。 健太は今、初めて蓮に会ったはずである。 健太が怪訝な顔をすると、蓮は続けた。 「つまり、健太殿は、『私に関する話』、いわゆるところの伝承とかいった類のものです。 それを伝え聞いている。違いますか?」 祖母の言っていたあの話のことだろうか。 「ああ・・、確かに、祖母から昔の話を聞いたことがあります。」 「やはり。だから唯那の話を信じて、ここまでやって来た。あなたはこの地があることを、私が居ることを『知っている』から、入れたのです。普通、私にとっては悲しいことですが、今の時代の方々は、私の存在を忘れてしまっています。知らなければ、存在しないのと同じこと。見えることも触れることもない。あなたは、健太殿は、稀な人です。」 だから、唯那の心を結べた。 『知っている』から出来たこと。 皮肉なことに、蓮にとっては、健太もまた自分を覚えていてくれる、特別な存在なのだ。 だが、唯那との時間はさらに大切。 蓮は、ひとつ頭(かぶり)を振ると気持ちを切り替え、言葉を紡ぐ。 あとわずかの唯那との逢瀬の許しを得るための・・・。 「さて、では本題、唯那のことについて話しましょうか・・?」 そうだ、弱気になってはダメだ。 唯那を連れ帰らないと。だけど・・・。 「唯那を帰してください。」 単刀直入に健太は言った。 「やはりそうきますか。ですが、あと少し、あと少しだけお願いします。」 蓮は懇願する。 だが、健太とて、このまま唯那が消えてしまうのを見過ごすわけにはいかないのだ。 「祖母の話では、こちらへ来た子に帰った者はなかったと、聞いています。あと少しとは、どういう意味でしょう?」 このままこちらへ行き続け、唯那だけが取り込まれない保証がどこにあるのか。 健太の言葉にならない疑問を感じ取り、蓮は言う。 「唯那は、過去の人とは違うのです。いつでもあの子が望みさえすれば、帰ることが出来るのです。」 捧げものではないのだから。 「唯那には、あなたの想いが掛っています。目には見えない想いの糸です。それは唯那がそちらの、あなた方の世界へと戻っていくための足掛かりとなっています。」 蓮はひと呼吸おくと、 「つまり、健太殿が唯那を想う限り、唯那がこの地に『留まり続けること』は、ないのです。」 しかし・・・、と心の中で蓮は思う。 蓮の存在に焦がれることは、すなわち、唯那の心がこちらの世界に染まるということ。 蓮は気付いてしまった。 唯那の心が、すでに染まりつつあることを。 心が染まる。ここは神の世界。それは神の心になるということ。 人の身で、それに耐えることが出来ようか?このまま染まり続ければ、いずれ唯那は心を壊す。 唯那ではなくなってしまうだろう。 健太には告げることはできない。 そして、もう一つ。 蓮が本気で臨めば、唯那に掛かる糸を断ち切れることも。 告げれば、この者はきっと唯那を連れて帰ってしまう。 そうして、二度とこちらへは来させないだろう。 これは我儘だ。 「唯那をこちらの世界に引き込むつもりはありません。 私の力の限り、全力で帰しますから・・・だから、どうか唯那との逢瀬を。いまひと時の逢瀬を、許して下さい。」 唯那が『唯那』でなくなってしまっては意味がない。 それはもう、蓮の焦がれる唯那ではないのだから。 だから、唯那を帰すのだ。 言の葉に想いを乗せて、蓮は健太へ許しを請う。 |