「じゃあ、行ってくるね。」
「気を付けてな?」

蓮と健太が会ってから変わったこと。
それは、唯那が蓮のもとへ行く前に、必ず健太にその旨を告げるようになったこと。
あの一件で、どれだけ健太が唯那を心配してくれたのか、知ったから。
ちゃんと帰ってくるよという意味を込め、唯那は「行ってきます。」と言う。
だけど、そうは思っても、蓮のそばにずっといたいという気持ちが日に日に増していく。
蓮と会えた瞬間が一番うれしい。
そのあとのマコとコマを交えたおしゃべりもとても楽しくて。
そうして過ごした時間の終わりが近づくと、唯那の心にするりと不安が忍び込む。


「でね、今日は千由紀ちゃんと健太が、授業中なのに喧嘩しちゃって大変だったんだよ?」
そう言った唯那は、その時の光景を思い出したのかクスクス笑う。
「そんなことがあったのですか。授業とは学問を習うことですよね?静かにしていなければいけないのでしょう?」
「うん。先生すごく怒ってたよ!」
「健太殿はもっと落ち着いたしっかりした方だと思っていました。」
そんなに元気な方なのですね。そう言って笑う。
蓮の笑顔を見ながら、そう言えば、結局、蓮にも健太と何を話したのか教えてもらえなかったんだっけと唯那は思う。
しかし、それはすぐに霧散して、

「そうだ!まだ蓮のお社、全部見たことなかったんだ。見てもいい?」
「おや、もうここに来るようになって随分たつのに、案内していませんでしたね。じゃあ、行きましょうか。」
「うん!」



唯那がいつもいるところが本殿、そこから奥へ部屋が続く。
蓮と健太が話した部屋は、本殿から3番目の部屋だ。
その後ろに水回りがあり、そこから左へ進むとコマとマコの部屋がそれぞれあり、
反対側、右に進むと、蓮の寝室がある。
唯那は蓮の説明を聞きながら、一つ一つ部屋を見て回る。

「ここは何の部屋?」
唯那が聞いたのは、蓮の部屋の隣に存在する部屋だ。
見れば、寝台には美しい掛布が敷かれている。
その部屋はどこか女性を思わせる雰囲気を出していた。
まだ、蓮たちの他にも人が居たのだろうかと唯那は思う。


唯那からの質問に「あ。」と、蓮は思った。
唯那と出会ってからこの部屋の存在を忘れていた。
そこは、かつての捧げもの、少女たちの部屋だった。
使われなくなって久しく経つ。
もうきっとここを使うものはないのだろうと思いながら、掃除は欠かさず行っていた。
だけど、わざわざそのことを唯那に告げる必要はないと思う。
唯那は知らないのだから。かつて捧げものとされた少女たちがいたことを。
知る必要はないのだと思う。
唯那はその伝承とは全く関わりのない『個』の存在。
伝承を引き継いでいるのは健太だ。
だから、蓮は口を閉ざし、
「もう使ってない部屋ですから。」
そう唯那に告げて、わずかに微笑んでみせる。

「?」
蓮の様子に、言葉に疑問を抱く。
だって、その部屋には色濃く残る、女性の気配。
しかし、蓮の微笑みには何も聞いてくれるなという雰囲気がある。
心に生まれたもやもやをどうすることも出来ないまま、唯那はそこを後にした。




その日の帰り、初めのころから感じていたわずかな不安が、大きくなるのを唯那は感じた。
ちくりと不安が胸を刺す。
一歩、唯那の世界へ近づくごとにその痛みは強くなる。

(どうして、不安になるのだろう、胸が痛いのだろう・・・。)
それでも唯那の足は自らの属する世界へと歩みを止めることはない。
(ああ、きっと怖いからだ。)


唄が鳴り響く。唯那の心の中で。

 行きはよいよい

そうだ、行くのは楽しみ。嬉しい。あなたに逢いに行くのだから。

 帰りはこわい

さよならは悲しいから。辛いから。
また逢えるなんて保証はどこにあるの?
ずきりと鋭い痛みが胸を刺す。
痛い!胸が張り裂けそう。
あなたを置いて帰らなければならないなんて。
じゃあいいじゃない。帰らなくたって。
心の中でひとりの唯那は甘く囁く。
・・・だけど、帰らなくちゃいけないの。
唯那の脳裏に、ひとつの像が結ばれる。
そう、私が帰るのを待っている人がいるのだから。







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